公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館
公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家濱田庄司が長い時間をかけて蒐集した陶磁器、漆器、木工、金工、家具、染織、その他工芸品を展示・公開するために、濱田庄司の自邸の一部を活用する形で1977年4月に開館しました。
濱田の蒐集は、日本国内にとどまらず、中国、朝鮮、台湾、太平洋諸国、中近東、ヨーロッパ、中米などの各地に広がり、時代的にも古代から近現代まで多岐にわたります。
その蒐集品は、自分の作品が負けたと感じたときの記念として、購入し蒐集した諸品でもありました。これらは、濱田の眼を楽しませ、刺激し、制作の糧となったもので、身辺に間近くおいて親しんだものでした。
濱田庄司記念益子参考館は、濱田がそれらの品々から享受した喜びと思慮を、広く工芸家および一般の愛好者と共にしたい、また自身が制作の際に参考としたものを、一般の人たちにも「参考」としてほしい、との願いをもって設立されました。
現在では、それらの蒐集品に加え、濱田庄司自身の作品および、バーナード・リーチや河井寛次郎ら、濱田が交流を持った作家たちの作品も合わせて展示・公開しています。
濱田庄司(1894-1978)
濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家の一人です。1894年に母の実家である川崎市で生まれ(自宅は東京芝にありました)、東京府立一中時代に陶芸家の道を志しました。その後、東京高等工業学校窯業科に進学し、ここで2学年先輩の河井寛次郎と出会い、終生の友となります。卒業後は、河井も先に入所していた京都の陶磁器試験場に入り、技手として主に釉薬の研究・開発にあたりながら、自作の制作もスタートしました。
後に自身の活動の軌跡を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と振り返っているように、1920年にバーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動をスタートさせています。
1923年に帰国した濱田庄司は、イギリスで見知った田舎での生活を望み、翌年に栃木県の益子に移住しました。益子では間借りの生活であったこともあり、この時期には沖縄にも長く滞在し、多くの作品を残しています。
1930年に母屋となる建物(現在は陶芸メッセ・益子に移築)を近隣より移築すると、その後1942年までの間に多くの古民家を邸内に移築し、自身の生活と作陶の場としました。
この間に、柳宗悦や河井寛次郎らと民芸運動を創始し、その普及活動にあたるとともに、各地の古い民芸的陶器をモチーフとした個人作家作品の創作スタイルを確立します。
1955年には、第一回の重要無形文化財保持者(人間国宝)に富本憲吉や荒川豊蔵らとともに認定され、1968年には、陶芸家として3人目となる文化勲章を受けました。