濱田庄司と家具

企画展「濱田庄司と家具」
2023年7月15日(土)~2024年1月8日(月・祝)
休館日:月曜。祝日の場合翌日休館。12月25日(月)~2024年1月1日(月)
濱田庄司の家具の収集は、1929年イギリスでのウィンザーチェアの買い付けが発端とみられ、その後、益子に居を定め住み暮らす中で、日本各地世界各国の家具を収集し生活の中に取り入れ、愛用してきました。
また、集めるのみでなく、自らデザインした家具を地元の大工、木工職人などに制作を依頼し、作り手の育成にも取り組みました。
今回の展示では、棚、タンス、テーブル、椅子、机、膳といった、濱田が参考にした世界各地の人々の営みの延長線上の様々な家具に焦点を当て、観覧の皆さまと共に、家具の美しさ、家具作りの魅力を再認識する機会といたします。
濱田庄司の家具の話
椅子と私
「椅子テーブル」、この呼び名は、明治生まれの私達には幼い日から「西洋料理」などと共に懐かしい響きをもった言葉であって、新規な文明開化を具体的に身近に思わせるものでありました。ところが、その椅子というものの実態はちっともつかめていない。無理もないことで、腰掛けとしては小学校以来使っていても、椅子の生活というのは形式的な応接間にだけあって、一般の暮しには、縁のうすいものでしたからでしょうか。それに反して向こうの人々にしてみれば、何千年という歴史がある上に、個人的にも、物ごころついてから椅子を認識しているのですから、椅子との暮しというものは無意識の意識で、当り前の日常です。しかし現在は誰にも椅子の暮しがふえる一方なのですから、どういうように正しい、いい椅子を選ぶかは、身近にせまられた大事な課題といわなければなりません。
考えてみると、私は何とはなしに、中学生の頃から、横浜の本牧や山下町にときどき出かけて、西洋人が帰国する時に残していった家具などを扱っていた古道具屋を廻り、買えないまでも変わった椅子などを見るだけでも愉しみにしていました。後年京都の陶磁器試験場へ勤めるようになってからも、帰京するたびに横浜の骨董店や南京町へ出かけました。そして収穫を京都の下宿で使いました。その一部は英国へ行くとき河井寛次郎の家に遺していったので、先年河井の蒐集品の回顧展が京都で開かれた時にも出品されているのを見かけました。リーチと英国へ行く時も、期待していたことは、日本から地球の真反対にある英国へ渡って、西から東を見ること、一緒に働いてリーチをもっと身近で学ぶこと、大英博物館や、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館などを見ること、田舎の住居やチャペルや、それから人々の暮らしぶりなどを身にしみてゆっくり勉強したかったのです。私二十五歳、リーチは三十三歳でした。
リーチと私がコーンウォールのセント・アイヴスで仕事場をつくっておりますと、毎日のように二輪馬車で散策がてらやってきて、我々の仕事ぶりを立ちどまって見ている老婦人がありました。不思議な人だと思っておりますうちに、或る日その婦人が、私達を英国風の午後のお茶に招いてくれました。その方はパドモア夫人といって、美しいホームスパンずくめの身装りに、私達は驚くばかりでした。話をしているうちに、パドモアさんは思いがけないことに、私が日本におります時に丸善でたまたま見つけた本で、イニシャルの木版のカットがあまりに美しかったので買い求めていた『植物染料』(Vegetable dye)の著者であるメーレ夫人の親しい友人であることが判り、一ぺんに親しくなりまして、ホームスパンのこと、英国で日常使っている家具のこと、食事のこと、住居のことなどが話題になり、それまで漠然と心にかかっていたことが非常にはっきりしました。リーチも私もすっかり元気がでて、早速仕事場用のテーブルや椅子などの試作を始めました。先年来松本の家具のリーチ・デザインのテーブルは、当時作ったのが原型で、今も工房に残っております。残っているといえば、その頃私は仕事場住まいを始めたので、燃料の松材で自分用のベッドを作ったのが今も工房の二階にあります。
私達は家具のことが好きでもあり、必要でもありましたから、田舎のオークションへ出かけて好きな家具を選ぶのが、実際のいい勉強にもなりました。
英国の家具の中で私がとりわけ感心したものに、ウインザー・チェアとラッシュ・ボトム・チェアがあり、この手のものには、博物館でも、古物屋でも、特に注意しました。
ロンドンのナショナル・ギャラリーの横丁の店先きには、結わえつけて束にしてあるウインザー・チェアさえあり、一つが三十シリング(当時の為替率で十五円位に相当)からありましたが、それでも高くてちょっと買えませんでした。英国を引きあげる時には、昔の懐中時計などは五、六個ほど求めましたが、椅子は運賃もかさみ手に負えず心残りのことでした。
帰国してから当時毎日新聞京都支局長の岩井武俊さんが、たまたま私と入れかわりにヨーロッパに行くといわれますので、この椅子のことを話し、出来たらその一脚をぜひ買って来てほしい、店の地図までかいてお願いしたのでした。岩井さんは約束を守って帰国の時に、ウインザー・チェアを一つ持って来て下さいました。私はまだ家もなく、それを河井の家へ預けたままにして、京都へ行くたびに腰かけるのを愉しみ、この二百年近くも使って、どこもすりへりながら、まだびくともしないような、また全部木で出来ているのに、何時間坐っていても一つも疲れないような椅子、そのような素晴らしい椅子を、はじめて自分のものにするようになったのを悦びました。この椅子は今も益子の家で使っております。古くなって一寸以上も脚がへって私には丁度いい寸法です。そして昭和四年柳宗悦と渡欧するとき、その話をしたことが縁になって、京都の鳩居堂のご主人熊谷直之氏がたまたま家を新築されるにあたり、その家の一室を全部イギリスの堅実な家具で揃えてみたい、せっかく柳さんと行かれるのであれば、そういったものを選んで持って帰ってもらえるだろうか、また選ぶついでにそのようなものを悦んでもらう人が他にもあるだろうから、出来るだけ数を多く選んで買ってみてほしいといわれて、当時としては大変な金額三万円のお金を預かったのでした。
渡英しまして家具を購入するうちに、二人共熱心すぎて、渡された金額だけでは足りなくなり、河井と私の展覧会をそれぞれロンドンで開いた売り上げも、全部家具の買付けに投じてまだ足りず、一万円でしたか二万円でしたか重ねて追加のお金を送って頂いたのでした。あの頃は、ロンドンから日本へ電報を打つと、今のようにむずかしい手続きなどなしに、翌日送金されて来たのです。私は数の少ないように千ポンド札で三枚銀行から払ってもらいましたが、いくらロンドンでも危険だからと行員が、タクシーに乗るまで付き添ってくれました。薄い大型の紙に、文字だけを刷った他国の金は、私にはあまり有難さが身に滲みませんでした。私達は椅子類などは数多くほしいと思ったので、信頼のおける道具屋に頼んでおき、毎週月曜日に訪ねて、ウインザーとラッシュ・ボトムの椅子がいくつも集まった中から、よいのだけ抜きまして、後は市に出して売ってしまうというやり方で、ついに新旧合わせて三百という椅子を買って来たのです。
またそのような間に、メーレ夫人が織物をしていますディッチリングという村を訪ねました。夫人の友人にロムネー・グリーンという家具を作る名人がおりまして、メーレ夫人が、二十ポンド(当時の相場では二百円)というオークの大テーブルを彼に注文したのですが、当時二十ポンドは、イギリス人にとって大変なことで、十ポンドだけはお金で払い、残りの十ポンドは、グリーン氏の奥さんのために、スカートの生地を向こう五年間毎年一着宛織ってあげるという支払い方法の由、私はこの手堅い取引ぶりに、家具一つにどれほど深い愛着を持つ人達の生活があるかを知り、実に感心しました。このテーブルの上にフイシュリーという老陶工の作った食器類を使って、質素で素晴らしい食事を頂いたことは忘れかねることでした。夫人が住む家はご主人と大工と二人が五年がかりで作ったという広い建物でした。
夫人の手織は英国の羊毛或いはインドの絹を材料として、すべて植物染料を用い、無地か縞柄のもので、私達はすっかりとりこになってしまいました。帰国して間もなく、高島屋の川勝堅一氏が渡欧されるとき、夫人の作品をお見せしたら、同氏はロンドンへ着くなり夫人のところを訪ねて、所持金全部でその作を買ってしまった由、これらは民芸運動初期の手織物に深い影響を与えました。夫人の住むディッチリングの村には、エリック・ギル始め彫刻や、印刷や、書道の大家達もいて、たびたび集まり、私も数回訪ねましたが、これほどの所は予期していなかったことだけに、三年半の英国滞在中一番強い感動をうけ、現在の益子の暮しを支えるもとになったともいえます。
思えば鳩居堂から英国家具蒐集の依頼をうけたということは、大きな一つの機会でありました。そうでなければ三百点もの椅子を買うということなど、商売人ででもなければあり得ないことです。しかし商売では何百点買っても財布と関係しただけの話ですから、一つも身につきません。自分の好みで椅子を選ぶということは、普通はいい場合でも趣味で選ぶということが精一杯で、趣味を越えて正しい生活の伴侶として筋を通して選ぶということは、幸い柳ほどの友達と一緒だったから出来たことで、これは何よりも感謝しなければなりません。あちらへ行かれた人々が、家具を持ち帰ることがありましても、それは趣味性の濃い、なるべく凝った、いかにも欧風の匂いの強いものを買い集めて、暮しを飾るといったとり入れ方をするのが普通です。或いはこの頃だと流行のグッド・デザインに走るということになりがちです。私達は椅子を買う時に、西欧ということさえ意識しないくらいです。結果的には西欧のものを実に学ぶのですが、先ず頭で学んでから買うというのではなく、とにかく見て、判断を超えて心にひびくものを選んで買うのです。その結果が学ぶことになるのです。計る知識の物差を持たずに、じかに直接ものに打たれて、負けたと思うものを持ちたいのです。
私達は趣味の上から、或いは面白い椅子だから買うというのではなく、ただ、いい椅子だと思って心ひかれて選び、それに腰かけている間に、なお好きになり、使うに従って椅子への愛着を一筋に深めて行きたいのです。こうして求めた家具類には、イギリスのものもあり、アメリカ、スペインのものもあり、スウェーデンのものもあり、それが長い間、どれもが厭きたということを知りません。多くの蒐集家は、一つのものに厭きると他のものを買うということになりがちですが、そういうものは私達の場合はほとんどないのです。長く持てば持つほどものへの愛着が深まり、頭で理解する代りに、体の方の縁が深まるばかりです。
このようにして古いものを見てきますと、イギリスのものは特に堅実なこと、装飾性が少ないこと、そしてElbow grease(肘油)でもって自然に磨き込まれ、暮しの中の器物として代々伝えられてきたこと、構造的にも材質の上からも素晴らしいものだと思います。
それで、イギリスの古いよい家具に最初から導かれたせいか、今でいうグッド・デザインというものに、私はそれほど信頼を置きかねます。わざわざグッド・デザインなどといわなくても、古いイギリスのウインザー・チェアにせよ何にせよ、みんな今の頭で考え出したものに劣らないグッド・デザインなのです。それに昔のものは長い年月をかけて、多くの人達からの批判をうけつづけてきて、落ちつくところに落ちついたよさがあります。
私はかつてウインザーに近い、英国の家具の中心地ハイウィッカムで聞いて、近くの林の中で、昔風に頬ひげだけを立てた老人が、ウインザー・チェアの部分を蹴轆轤で挽くところに出合いましたが、背受けの曲木を作るのを見ると、林から適当と思うものをきり、焚火に焙って曲げるのにいくつも失敗し、そばからそれが焚木になってあとを焙る。本当の仕事ぶりを大写しに見せる大した場面でした。それと、ラッシュ・ボトム・チェアをさらに簡素化したようなもので、例のゴッホがパイプをのせて描いた椅子と同じ素朴な椅子が、スペインのグラナダに近い石の村で、一脚三百円もしないで今なお作られていて、使われているということは大変興味深いことです。先年私は現地で目のあたりこの仕事を見て強い感銘をうけました。細い丸太を削って構造を組立てるまでに、ちょうど一脚十五分で仕上がりました。
不思議なことは、アメリカの植民地時代の椅子というものが、簡素なことはもちろんですが割合に繊細で、軽い出来であり、イギリスより細みであるということです。これはどういうことか、私にはなかなか解らないのですが、新天地に開拓民が入って行くのですから、もっと下手で、荒々しいものではないかと想像されるのですが、イギリス、フランス、スペイン、オランダ、ドイツ等色々なものがアメリカの生活に入って来て、それらの結果があのようなアメリカの軽快な椅子になっているのを今みると、イギリスの椅子よりも、もっと近代
の椅子のいい手本になるのではないかと思われます。
アメリカというと古さがないように思われがちですが、すでに建国以来二百年、その建国がコロンブス以来二百年で、合わせて四百年の歴史ということになり、それもヨーロッパの古い文化を持って来てから四百年経っているのですから、伝統の古さも相当なものです。特にクエーカーというキリスト教徒の使う家具類には、学ぶべき点が多く、簡素な椅子などをみると、構造も、仕上げも、色彩も、全てが軽く明るく、理知的の冷たさがなく過剰の飾りがなく、好ましいものがあります。
流行のもとを作る家具には、常に立派なものがあって、やがては古典の中に入って敬意をうけるのを例としますが、流行になってからの後を追う仕事には、家具作りの根本を反省せずに、ただ流行で売れるものを作っているだけで残念なことです。
かつて、チャールス・イームスに会って話をしています時に、イームスは、自分も新しい椅子を作ろうと思っていたが、新しいものを作るには、古いものはどういうものであったか、祖父母達の使ったアーム・チェア、ソファはどんなものであったかを考えねばならない。そこで天井裏に仕舞い込んでいた古いものをとり出してみようと思い、出して実際に腰かけてみたところが、どこもちっとも悪くない。自分達も、祖父母からでは、体質も体格も大して変わっていないのだから、そうしてみると昔の椅子もなかなか掛心地がよい。今の頭で考えたグッド・デザインのものよりも、劣るどころか、すぐれているくらいだ。だからそういう意味では新旧はないのであって、今のものは馬鹿に能率的、合理的にいっているようだけれども、昔のものもみんな能率的で合理的なのだ。ただ生活の様式が多少違うというだけなのだと申しておりました。
今日、人々は新しいもののなかのコンピューターで算出されたようなものを頭から信頼して、うのみにしたがる習慣があるようです。また、ただ新しいというだけで、なにか魅力を感じてしまうのですが、新しさと古さは、ほとんどものの表裏をなすものであって、実際の新旧はないということを十分に認めなければなりません。新しい椅子の先達というべきイームスの右の意見には率直に聞くべきものがあり、公平な観点に立って今後の椅子作りの対策もあるべきだと思います。
(「民藝」昭和四十五年五月号)
「ラテンの工芸」展

会期:2023年2月18日(土)~7月9日(日)
濱田庄司は、1950年代から積極的にスペイン、メキシコ、中米諸国の工芸品や手工芸を盛んに集め紹介しました。昭和39年(1964年)5月には日本橋三越にて、濱田が監修者となり新たに収集した民芸品を紹介する「スペイン民芸展―併催 メキシコ民芸展」を開催しました。スペインとメキシコの現代の工芸を大々的に紹介した国内初の展覧会は、当時大きな反響を呼びました。今回の企画展ではこの展覧会に出品されたと思われる品が多く展示されており、また、その十年後に出版された「世界の民芸」に掲載の品と重なります。その蒐集は失われた文化の遺物ではなく、現在進行形の「民芸」の探求活動の数々であり、「海外の国々の「民芸」を冠しない民芸品を自由に紹介して、現在とやかくいわれるあやしい民芸品と見較べ、見直していただく機会にもなってほしい」「結局、素直に民芸をみることは、一応「民芸」の名を忘れることだ」と、同書で濱田が語っているように、自ら作り上げた「民芸」という概念を世に再認識させるための蒐集とも言えるでしょう。
当館のコレクションの中でイギリスの工芸、中国•朝鮮•日本などの東洋の工芸と並び中核を成す、ラテン文化の人びとの品々を、この度一堂に展覧いたします。
ラテンと一口に言いましてもその範囲は広く、スペイン、メキシコ、中米諸国に加え、フランス、イタリアの工芸も展示します。明るい太陽の日が降り注ぐような、ほがらかで彩り豊かな力強い品々をぜひお楽しみください。

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展示品について ―濱田庄司の言葉より―
土偶の犬[メキシコ]
メキシコのやきものの犬というと、ふつう、もっとふとった犬を思いうかべるが、あれは食用犬をモデルにしたもので、近世になって作られるようになったとか。この絵の二頭は、それより古い時代のものと思われる。ひょうきんな表情がいい。私は宗達の子犬の絵を思い出した。
この系統の土器に、古代イランのコブ牛や、現代のものではペルーの市場で売るというリャマがある。海外の美術商の店頭で、あるいは町中の売場で、この手のものを見かけると思わず私は足をとめた。これらは型ではなく手作りで空洞に仕上げて、白土や赤土で化粧して、多くは焚火で素焼したものだが、今は簡単な素焼窯を使うと思う。焼く前になめらかな石でたんねんにみがいておいたものは、縄文晩期の土器類と同様、長く土中にあっても艶を失わない。
この一対の子犬にはとくに気をひかれて、メキシコ行きの途中サンフランシスコで求めたが、本場のメキシコへ行ってもこれほどのには出会わなかった。
(濱田庄司)濱田庄司・芹沢銈介・外村吉之介著『世界の民芸』(朝日新聞社)より
瑠璃ガラスの大皿[メキシコ]
メキシコの町トラケバケに、ガラスとか織物、木工など、手仕事を業とする工場があって、とくにガラスは盛んに量産していた。その倉庫の壁に、このての皿をいろいろ集めて、六枚ほどか、あるいは十枚だったか、三角形に組んではめこみ、ステンドグラスにしていたのがいかにも効果的だった。私はあるだけの種類を集めて送らせ、数年前三越でのスペイン・メキシコ展へ飾ったが、よく売れて、やっと三枚だけ私の分を求めた。この写真のものは、型に凹凸を作って瑠璃ガラスを吹込んだのが、コバルトの濃淡に仕上がって、窓に透かすと美しく冴え、ガラス独特の明暗が深々とはえる。このほかにも青味を持った透明ガラスで、一面に渦巻く細い線を刻んだり、縁だけ軽く茶に染めたものなどがとくによかった。
(濱田庄司)濱田庄司・芹沢銈介・外村吉之介著『世界の民芸』(朝日新聞社)より
椅子[メキシコ]
メキシコでは、古くからある椰子や葦を編んで造った椅子と並行して、スペイン人によってデザインされた木の骨組に豚や牛の革を張ったものが造られている。
市場では道端や店の中の多彩な雑貨の間に、これらの椅子がつみ上げてあるのが見られる。革張りのものでは、一人用に、この図のように単純なもののほかに背から腕に幅広の板を添えたものもあり、背のついた二人掛けやスツールや、また、ドラム形のテーブルなどもあり、なかにはお国柄の原色でその革の上に花などを描いている。手軽に求められる値(一人用五~十ドル)なので、一般家庭でベランダなどに広く用いられている。アメリカでも、くつろぎの場によく使われているようだ。縞目のある板を組み丸木の背に革を結びつけた素朴なこの椅子の良いものは、ミチョアカン州とハリスコ州の村々で作られるという。
これは日本橋のデパートのメキシコ展で求め、十年来日々使っているが、出しゃばらず、掛け心地もよいので客に向う場所に置いてある。
(芹沢銈介)濱田庄司・芹沢銈介・外村吉之介著『世界の民芸』(朝日新聞社)より
銀象嵌の木鉢[メキシコ]
これを買うとき、木鉢の内べりに、半円形の銀板をいくつも嵌め込んで飾っているのが、何とも思いがけなく、強く眼をとらえた。さすがにメキシコは銀の本場だけに、銀の取扱いが自由で、よそでなら木と銀との組み合わせにこだわりそうなところをすこしも無理がないのが不思議だ。ちょうど朝鮮の工芸に、たびたび木とか石とか陶器とかの材料の違いの区分なしに、共通な成形や、彫刻が行われる場合と似ていると思う。こういう工夫はだれが考えたというより、土地柄から生まれただけに責任は大きな自然にまかせてあるところに救いがある。鉢と対になるナイフの柄に散らした銀細工も、メキシコ風ににぎやかで生き生きしている。
この手の細工に、黒木と銀の無地の筒を、二センチぐらいの長さで交互につないだネックレスがあって、これも気に入って買い求めたが、どこへしまったのか見つからなくて紹介できず残念だ。
(濱田庄司)濱田庄司・芹沢銈介・外村吉之介著『世界の民芸』(朝日新聞社)より
ジャガーを形取った石器[中米]
形にいろいろ違いはあるが、中米一帯にかけて使われる石造りの台所道具で、これはジャガーという野獣を形取ったものだという。尾を曲げて後ろ足へつぎ、全体を丈夫にしたところがいい。
ロサンゼルスの骨董屋で、大きいものから小さいものまで五、六個も積み上げてあるのを、私が二つ所望したら、小型のはもっといいのを近く入手するので、あとから送るといって、日本まで届けてくれたのがこの写真のものだった。
これは特に小型であり、縁にかこみもあるので、あるいは用途も少し違うかと思うが、普通はメタテと呼ばれてもっと大型のものが多く、両手に石棒を握って主食のトウモロコシをすりつぶす。私はメキシコ市の宿に近い食べもの屋で、珍しい朝飯を見つけた。このトウモロコシの粉でせんべいを焼き、アバガドなど野菜を巻き込んでほおばり、パイナップルの皮からしぼった淡い酒を飲みながら、七面鳥の焼肉に、甘味を入れないチョコレートで、濃く煮つめたソースをかけて食べた。
(濱田庄司)濱田庄司・芹沢銈介・外村吉之介著『世界の民芸』(朝日新聞社)より
木彫りの玩具[メキシコ]
数年前サンフランシスコのハーマンミラーの店で、この鳥面獣身の木彫りが目についた。メキシコのオハカ地方で今も出来る玩具だという。ちょっと、熊本の玩具の雉子車を思ったが、この木彫りはまだ形式化する間もないほど、なまで、それだけいきいきしている。
もっとこの仲間を見たく、幸いこの店へメキシコ物を世話しているフレッド・マイヤー氏を紹介されたので、ロサンゼルス郊外の宅へ訪ねたところ、ちょうどメキシコからこの手のものを、出来るそばから求めてきたというのが三十何体かあって、どれも面白くみんな買った。馬、犬、うさぎ、いろいろな動物の中にふくろうもいる。かえるもいる。目玉にビーズをはめこんだり、鉛筆でひげを描きこんだのもある。
作者は、相手の動物たちどれひとつにも率直に親愛の情をかたむけ、ときには生きるものに対する恐怖のおもいを抱いて、からだいっぱいに取組んでいる。
(濱田庄司)濱田庄司・芹沢銈介・外村吉之介著『世界の民芸』(朝日新聞社)より

「濱田庄司の健やかな生活」展

会期 2022年7月16日(土)~2023年1月29日(日)
「生活と工藝とは分かつことが出来ぬ。一體となってこそ完き生活がある。」雑誌工藝で柳宗悦が記した一文です。柳宗悦、河井寛次郎らと「民藝」という造語によって工芸にたいする新しいものの見方を提唱した濱田庄司の益子での生活は、柳が語るような、生活とものづくりとが一体となることを目指した、民藝運動そのものであったと言っても過言ではありません。
都会で育った濱田は、益子という「田舎」を選び、その土地の文化に添うように暮らしながら、純粋で健やかな生活を営みました。この場所でそこから生まれる美を追い求め、人生をかけて生活の中で表現していたのです。
当館は現在、美術館となり、生活の風景を感じにくい現状ではありますが、当時の写真資料を元に、濱田の生活の断片を当時使われていた品と合わせて展示し、多少なりとも濱田が体現していた健やかな生活の空気をお伝えしたく、濱田の残した言葉とともに展示いたします。
「濱田庄司と近代作家」展

会期 2022年2月19日(土)~7月10日(日)
前回企画展「濱田とリーチⅡ 益子×セントアイヴス 100 年祭を記念して」展では、バーナード・リーチと濱田庄司が出会いイギリスのセントアイヴスにリ ーチポタリーを開窯してから100年を経たことを記念し、二人が出会った100年前頃の活動に焦点を絞りましたが、今展では、その後の 100 年に着目し濱田と交流し影響を与え合った作家たちの作品を展覧し振り返ります。
展示される近代作家たちは、民藝運動の同志や濱田の弟子、関係の深い作家や海外の作家など多士済々であり魅力に富んでいます。濱田がイギリスから帰国し益子に入り、作陶や民藝運動や蒐集活動に励みながら重ねた豊富な交流の一端が垣間見え、作品からは湧き出でるような個性と情熱とともに、現代の私たちにそれぞれの想いを語りかけるように感じられます。
展示作家(生誕年順)
富本 憲吉 (1886-1963) 陶芸家
バーナード・リーチ (1887-1979) 陶芸家
柳 宗悦 (1889-1961) 思想家・美術評論家
ウィルヘルム・コーゲ (1889-1960) デザイナー
河井 寛次郎 (1890-1966) 陶芸家
濱田 庄司 (1894-1978) 陶芸家
佐久間 藤太郎 (1900-1976) 陶芸家
ルーシー・リー (1902-1995) 陶芸家
棟方 志功 (1903-1975) 板画家・画家
村田 元 (1904-1988) 陶芸家
黒田 辰秋 (1904-1982) 漆芸家・木工家
チャールズ・イームズ (1907-1978) デザイナー
合田 好道 (1910-2000) 陶芸家
金城 次郎 (1912-2004) 陶芸家
島岡 達三 (1919-2007) 陶芸家
武内 晴二郎 (1921-1979) 陶芸家
舩木 研兒 (1927-2015) 陶芸家
加守田 章二 (1933-1983) 陶芸家
過去の企画展示
2007年3月からの企画展示について、下記より簡単な内容をご覧いただけます。2019年7月〜12月期以前の企画展示については、旧公式ウェブサイトにてご覧いただく形となっています。ご了承下さい。

会期 2021年6月12日(土)~12月12日(日)
バーナード・リーチが濱田庄司を伴ってイギリスのセントアイヴスにリーチポタリーを開窯してから2020年でちょうど100年が経ちました。当館ではそれを記念し同年に企画展「リーチと濱田」展を開催しましたが、全世界で感染症の流行という大きな災難に遭遇したために、同じく予定していた「益子×セントアイヴス100年祭」は今年度に延期となったため、あらためて「100年祭」を祝う機会となるよう、この度「リーチと濱田Ⅱ」と題し展示を企画いたしました。
この展覧会では、リーチと濱田が100数年前に出会い、大志を抱きつつ渡英しリーチポタリーを設立、生涯を通してイギリスと日本で活躍した軌跡を所縁の品々で振り返ります。1954年のリーチ来日時に佐久間藤太郎窯で制作された陶器は昨年に引き続き特別に展示し、リーチが濱田窯で制作した陶器と、濱田が1921年にセントアイヴスにて描いた水墨画の軸は今回が初公開となります。また、二人の作陶に大きな影響をもたらしたスリップウェア陶の数々もご覧いただきます。
濱田とリーチは、リーチポタリーと濱田窯、イギリスと日本を互い行き来し、作陶や民芸運動の発展のために励み合いました。終生続いた両者の交流は、陶芸を志す者はもとより、両地域の美術館や教育機関、一般市民の愛好家にまで影響を及ぼし、セントアイヴスと益子町が友好関係を結ぶに至るなど、現在でもさまざまなところで二人の志が新たな活動として結実しています。リーチの精神が後の陶芸家に受け継がれた系譜の展覧会を益子陶芸美術館にて、益子町の学生、市民の交流を伝えるパネル展示を道の駅ましこにて同時開催しています。当館の企画展示と併せてこれらをご観覧することで、多くの方が紡いだ100年のストーリーに理解を深めていただければ幸いです。
コロナ禍により、昨年開催予定であった「益子×セントアイヴス100年祭」は改めて本年に開催することになりました。100年前、濱田庄司とバーナード・リーチはイギリスのセントアイヴスにリーチポタリーを設立し、イギリスの古陶スリップウェアの研究と再現に努めました。産業革命の華やかなイギリスにおいて、地方の手仕事のスリップウェアの温かみを探求した試みは、その後に興る民芸運動へと繋がっていきました。

また、この時期は濱田庄司は中国の陶芸技法の研究を自作に生かし、イギリスのデザインと中国の模様を生かした作品はロンドンで開催した濱田の個展で好評を博しました。民芸運動発足後の、濱田の幅広い収集活動においても中国の工芸品はコレクションの中核を成すものであり、漢時代から明時代、中国の様々な名窯や民窯、奥地から台湾まで、陶器や染織などを収蔵しています。
バーナード・リーチも香港生まれであり終生中国文化の影響が濃く、作風にも東洋的な意匠が多く見られます。リーチは晩年、念願の中国での作陶を挑戦するべく渡中したこともありました。
濱田とリーチの中国への深い憧憬から、次回「リーチと濱田Ⅱ」展への紐付けとして「中国の工芸」を展覧いたします。
新企画展「中国の工芸」展 1号館にて開催。2021年1月5日(火)~6月6日(日)
※常設展も入れ替えいたしました。どうぞご覧ください。
「リーチと濱田」展
2020年1月からの企画展示は、「リーチと濱田」です。2020年は、濱田庄司が、バーナード・リーチとともに渡英し、イギリス南西部コーンウォール半島のセント・アイヴスに窯を築いてちょうど100年となります。
この企画展では、これを記念して、二人の作品や二人の交流を示す写真や資料、イギリスにゆかりの蒐集品、そうした蒐集品からのモチーフがみられる濱田庄司の作品などを展示しています。
2020年1月4日(土)〜12月13日(日)
*なお、企画展示についての館長による解説動画が公開されています。ぜひご覧下さい。下記より公式Instagramの各動画をご覧いただけます。

奥:蒐集品を眺めるリーチと濱田